この地方に女神あり。 その名を八女津媛(やめつひめ)といい、 常に山中におる。
福岡県八女市の一角、江戸は文政時代から酒を造り続けてきた「喜多屋」の酒蔵近くに「酒邸 吟乃香」はございます。福岡県の南西部に位置する八女市は、緑豊かな筑紫平野と有明海へ注ぐ矢部川の恵みを享受する農芸都市です。八女茶はもちろんの事、棚田米やトマト・ナス・筍などのお野菜、蜜柑・梅などの果物、そしてバラや八女電照菊などの生花といった特産物も多種多様です。また、八女市は伝統工芸品の総生産額が九州一を誇る都市でもあります。仏壇・提灯・石灯ろう・和ごま・手漉き和紙といった八女ふるさと工芸品は、江戸時代に産業としての地盤が作られ、その匠の技は脈々と現代の職人へ。八女市本町の「八女福島の白壁の町並み」でその伝統を間近に感じることができます。江戸~明治初期の様式で建てられた土蔵造りの民家が並ぶ町並みには深い郷愁を覚えることでしょう。
さて、八女についてざっくばらんにご紹介したところで、今度は地名の由来についてお話し致します。 起源は、奈良時代(約1300年前)に書かれた日本最古の歴史書「日本書紀」の一節にあります 。大和朝廷の時代、景行天皇が八女の地を巡幸で訪れた際のお話です。景行天皇が重なり合う山々の頂 を見て「山の峰が幾重にも重なってとても美しい。もしやあの山には神が住んでおられるのではないか」 と感嘆の言葉を発した時に、当時、地を治めていた水沼県主猿大海(ぬむまのあがたぬしさるおおみ) はこう返しました。「この地方には八女津媛という名前の女神がいまして、常に山に住んでおられるのです」 と。その「この地方に女神あり。その名を八女津媛(やめつひめ)といい、常に山中におる」という言葉… そこから「八女」と名付けられ、八女津媛も八女市矢部村北矢部にある養老3年(719年)建立の 「八女津媛神社」に祀られたと言われています。神社の境内で、五穀豊穣・無病息災などを祈願して 5年ごとに公開される「八女津媛神社の浮立」は、福岡県指定の無形民俗文化財に指定されました。 踊り手達が華やかに舞う奉納は、時期を合わせてご覧になっていただきたい行事です。紅葉に抱かれた 「八女津媛神社」も、とても煌びやかで美しく、たくさんの人で賑わう秋の名所です。
自然と歴史の浪漫溢れる町、福岡県八女市。お越しの際は、ぜひ一度「酒邸 吟乃香」にお立ち寄りいただき、 八女の食材をふんだんに使ったお料理と吟味された喜多屋のお酒で一杯どうぞ。